大佛次郎について

 

横浜に生まれた大佛次郎(1897-1973)は、終生変わることのない愛情を故郷に寄せていました。没後、遺族から蔵書や遺品の寄贈を受けて、1978年(昭和53)5月1日、大佛次郎記念館が開館しました。
ここは、「霧笛」や「帰郷」など、作品の舞台となった場所です。建物は開港期の横浜絵にあるような洋風建築で、レンガタイルの赤、色ガラスの青、大理石の白は大佛と縁のあるフランス三色旗の色調です。

収蔵品展では、時代小説「鞍馬天狗」で名を馳せ、ノンフィクション「パリ燃ゆ」、現代小説、随筆、戯曲など多岐にわたる文筆活動からライフワーク「天皇の世紀」に至る軌跡を紹介しています。
また、年数回、さまざまなテーマ展示を開催しています。
閲覧室やサロンでくつろぎの時を過ごし、今も多くの人々を魅了し続ける作品の世界に触れてみてはいかがでしょうか。


大佛次郎は「猫は一生の伴侶」と語るほどの愛猫家で、いつも十数匹の猫に囲まれた生活の中から童話「スイッチョ猫」が生まれました。その絵本原画や大佛が愛用した猫の手あぶり、収集した置物などを集めた人気コーナーのほか、玄関、照明、展示ギャラリー内など館内随所で猫コレクションが見られます。(撮影/石井彰)

 

大佛次郎略年譜

1897年(明30)10月9日
横浜市英町1丁目10番地(現・中区)に野尻政助、ギンの三男二女の末子として生まれる。本名、清彦(きよひこ)。長兄正英(まさふさ)は、星の文学者として活躍した野尻抱影。
1904年(明37) 7歳
横浜市太田尋常小学校に入学。1ヵ月後東京に転居。
1910年(明43)13歳
東京市白金尋常小学校卒業。東京府立第一中学校に入学。歴史への関心が芽生えた。
1915年(大 4)18歳
府立一中を卒業。第一高等学校第1部丁類(仏法科)に入学。スポーツに熱中する一方、文学への興味を抱く。
1917年(大 6)20歳
前年より雑誌に連載していた習作「一高ロマンス」を処女出版。
1918年(大 7)21歳
一高を卒業。東京帝国大学法科大学政治学科に入学。
1921年(大10)24歳
原田登里と結婚。東京帝国大学卒業。鎌倉に移り住み、女学校の教師となる。ロマン・ロランの翻訳書を出版。菅忠雄らと同人雑誌「潜在」を創刊。
1922年(大11)25歳
外務省条約局の嘱託となる。
1924年(大13)27歳
大佛次郎の筆名を初めて用い「隼の源次」を執筆。つづいて鞍馬天狗の第一作「鬼面の老女」を発表、映画化される。
1926年(大15)29歳
初めての新聞連載小説「照る日くもる日」を発表。
1927年(昭 2)30歳
「少年の為の鞍馬天狗角兵衛獅子」を発表。また、画期的な時代小説「赤穂浪士」を世に送る。
1929年(昭 4)32歳
鎌倉市雪ノ下の新居に移る。
1930年(昭 5)33歳
フランス第三共和政に材を得たノンフィクション「ドレフュス事件」を発表。
1931年(昭 6)34歳
現代小説「白い姉」を発表。この頃より10年間、横浜のホテル・ニューグランドに仕事場を置いた。
1933年(昭8)36歳
横浜を舞台にした「霧笛」を発表。
1935年(昭10)38歳
直木賞選考委員となる。
1940年(昭15)43歳
文藝春秋社の報道班員として中支宜昌戦線へ、また文芸銃後運動の講師として満州、朝鮮に赴く。
1944年(昭19)47歳
時代小説「乞食大将」を戦後にかけて発表。
1945年(昭20)48歳
敗戦直後に成立した東久邇内閣に招請され、参与となる。将来の日本を展望した進言がなされた。
1946年(昭21)49歳
苦楽社を創立、雑誌「苦楽」を発刊。童話「スイッチョ猫」発表。
1948年(昭23)51歳
「帰郷」を発表(昭和25年同作で芸術院賞受賞)、のち英訳をはじめ6ヶ国語に翻訳出版された。
1952年(昭27)55歳
戯曲「若き日の信長」が、市川海老蔵(のちの十一世團十郎)主演、菊五郎劇団で上演される。以後、市川海老蔵を主演に考えた数多くの戯曲を書き下ろす。
1958年(昭33)61歳
随筆「ちいさい隅」の連載始まる。自然や環境破壊に対する社会的提言が多くなされた。
1960年(昭35)63歳
日本芸術院会員となる。
1961年(昭36)64歳
フランスに渡り、パリ・コミューン関係の資料を収集。「パリ燃ゆ」を発表。日本文学と郷土文化の向上に貢献した理由により神奈川文化賞を受賞。
1964年(昭39)67歳
多年文学界に尽くした業績により文化勲章を受章。
1965年(昭40)68歳
「パリ燃ゆ」の完結と多年にわたる文学向上の業績により朝日賞を受賞。
1967年(昭42)70歳
絶筆となった史伝「天皇の世紀」の新聞連載始まる。
1969年(昭44)72歳
創作活動により菊地寛賞を受賞。「モラエス全集」の功績によりポルトガル文化勲章を受ける。
1973年(昭48)75歳
4月30日東京・国立ガンセンター病院にて死去。大佛次郎の多彩な業績を記念するために大佛次郎賞(朝日新聞社)が創設された。
2001年(平13)
よりよい社会の創造を目指す、政治、経済、社会、文化、国際関係をめぐる独創的で優れた論考に贈られる大佛次郎論壇賞(朝日新聞社)が創設された。