愛蔵品コーナー「明治期横浜の画家・五姓田義松」

2021年9月28日より、愛蔵品コーナーが一新されました。

タイトルは、「大佛次郎が父から受け継いだ一枚の油絵-明治期横浜の画家・五姓田義松」。

横浜に生まれた大佛次郎(1897~1973)は、「私ほど横浜に溺れて、横浜の小説を数多く書いたものは他にはいない」と述懐し、「霧笛」をはじめとする開化小説やエッセイで横浜の歴史や人物、町並みなどを取り上げています。

 

529回にわたって15年間もの間連載した神奈川新聞の「ちいさい隅」には、横浜の事を題材にしたものが多くありますが、その中で1961年3月から4月にかけて「五姓田義松-仏帰りの老残孤独の画家」を皮切りに5本のエッセイを書いて、明治期横浜の洋画家・五姓田義松について探索しています。

 

そのきっかけとなったのは、子ども時代からずっと自宅の壁に飾られていた義松の油絵《江ノ島》です。

江の島

 

「五姓田義松は大正四年(一九一五)に六十歳で横浜で死んでいる。私の父が横浜の郵船会社につとめていたのと、義松の父親五姓田芳柳と同じ和歌山県の出身だったので、郷土意識の強い昔のことだから義松とも知り合い、画を描いてもらったものか、と推測する。……明治二十年代、日清戦争の前後に、江ノ島を砲台にするという話があった。私の父親が、それを惜しんで画に残しておきたいと考え、五姓田義松に頼み、義松は七日写生に通って描いた。(神奈川新聞1961年(昭和36)3月7日「尋ね人」より)」

 

大佛はそこから筆を起こして、義松の父芳柳と「油絵興行」のこと、師ワーグマンと『ジャパン・パンチ』のこと、横浜の日野公園墓地にある義松の墓碑のことと、縦横に筆を進めています。

父・五姓田芳柳と、妹・渡辺幽香の作品

父・五姓田芳柳と、妹・渡辺幽香の作品

大佛次郎が所蔵していた「ジャパン・パンチ」

大佛次郎が所蔵していた「ジャパン・パンチ」 1886年(明治19)2月号

 

現在は当記念館が所蔵する油彩画《江ノ島》を中心に据えて、義松の父と師に加え、やはり画家であった妹渡辺幽香など、作品や関連資料のパネル展示を通して、古き横浜に寄せた大佛の愛惜をご紹介します。

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